「インターネットはどこでもドアだ」というのはちょくちょく聞くのですが、僕にはなんとなくそれが腑に落ちません。
どちらかと言うと、webはどこでもドアよりも四次元ポケットに近いと思うのです。
せっかくのドラえもんの誕生日なので、今日はそんなお話をします。
どこでもドアは、今いる所から一瞬で行きたい場所に行けるので、要は空間を縮める役割を持った道具です。
対して四次元ポケットは、中に無限にものを入れることが出来ます(細かい設定は分からないですが)。
つまり空間が無限に存在していると言える。
紙のコンテンツとwebコンテンツの比較でも本屋とAmazonの比較でもいいのですが、webも同様に無限の広がりを持っています。
そしてその四次元ポケットの中には、生活を便利にする様々なひみつ道具(webサービス)が潜んでいるのです。
また四次元ポケットには、それと全く同じように使えるスペアが存在しています。
誰が、どこに居ても、スペアポケットさえ持っていれば四次元ポケットの中にあるものを取り出して使えるわけです。
PCやケータイというネットに繋がったデバイスは、正にこの役割を担っていると言えないでしょうか。
現在はみんながスペアポケットを持って、一つの四次元ポケットを共有している状態なのです。
つい最近まで、サービスがどこに居ても提供される様を、空に広がる雲に例えた「Cloud Computing」という言葉が流行っていましたが、僕には四次元ポケットをメタファーとした方が日本人には断然分かりやすい気がします。
では、webが四次元ポケットだとすれば、最初に出てきたどこでもドアは何になるのでしょう。
どこでもドアは、自分が今行きたいと思う場所に一瞬で行けるというひみつ道具です。
webサービスの中で自分が行きたいと思う場所に一瞬で行けるものは何でしょうか。
僕はそれが、検索エンジンなのではないかと思うのです。
特にGoogleの「I'm feeling lucky」には非常に近しいものを感じます。
ここで一つ疑問に思うことがあります。
ドラえもんの話の中で、どこでもドアに並んでよく出てくる道具、タケコプターについてです。
どこでもドアが「行きたいと思う場所に一瞬で行ける」ならば、何故この2つの道具が共存しているのでしょうか。
どこでもドアさえあれば、任意の場所まで飛んでいかなければならないタケコプターは必要ない気がしてしまいます。
微かな記憶を頼りにドラえもんの作中でどこでもドアとタケコプターがどのように使い分けをされていたかを思い出してみると、確か「のび太の居場所が分からないけど探すとき」や「初めて行った場所を探検するとき」、或いは「飛ぶこと自体を楽しむとき」だったような気がします。
つまり
- 目的地は分からないまま、自分の周辺から手当たり次第に探すとき
- 探すという目的はなく、その時間の過ごし方自体を楽しむとき
「検索ワードは思い浮かばないけど探し物をしたい」「単純に暇つぶしをして楽しみたい」というニーズは確かにありますよね。
タケコプターをwebに落とし込んだら流行るかもしれないなあ・・・。
というようなことが、学生の頃のネタ帳に書いてありました。
そんなことを考えてから2年ほど経ち、いまwebサービスの世界には新たな波がやってきています。
twitterやFacebookなどのソーシャル系のサービスは正に上記のような使い方をされているのではないでしょうか。
ここまで近いと、藤子・F・不二雄氏はwebの誕生を予見していたのではないかなんて邪推もしたくなります。
そう言えばアンキパンとか翻訳コンニャクなんかも既にwebサービスとして生まれてきていますよね。
まだまだこれからも、webという四次元ポケットからは面白いひみつ道具が生まれて来そうな気がしました。
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