2012年4月15日日曜日

僕が”SHIRO Cheers System”をあまり好きになれないただ一つの理由

全国の社畜紳士淑女の皆様、こんにちは。無職オブ・ザ・イヤーの安藤です。ええ、そうです。こちらの記事で会社を辞めたという話をしておりますが、今は絶賛無職です。わーい。

まあ今回はそんなことはいいんです。今回久々にブログを書いたのは、ぶっちゃけ数回しか会ったことないのに勝手にすげー尊敬している広告人Tadafusa Honda氏がFacebook上の僕のコメントをきっかけにブログ記事を書いて下さいました。で、これは僕も対抗しなければならないだろうと、今日朝6時半待ち合わせだったのに5時まで飲んでて結局寝坊してバス乗れなくて今日1日の予定が無くなっちゃったからどうせ暇だし、超久々にブログを書くことにしたのでした。

そのFacebookのコメントというのが下記のCMについて。「しろ」という米焼酎のwebムービーなんですが、Hondaさんは大好きだと言うんですね、で僕はあまり好きになれないのでその理由を聞きたかったんです。


それに対するHondaさんの答えがこちらの記事だったわけですね。
とか頑張って経緯説明してきたけどこの記事のターゲットHondaさん一人だからもういいや。本題に行きます。(あでも語尾とか結構荒いですすみませんHondaさん。)

ちなみに先に言っとくと僕ああいう色使いとかトーンとかは大好きで、「焼酎」というかなり強いイメージのあるものをこのトーンで色付けするのはうまいと思うし可愛いと思うし正しいと思う。まあこれはいいちこ、特にいいちこpersonがずっとやって来ている手法の派生とも捉えられるのでそこはまあ差っ引きますが、それでも最後のInvitationとかリアル連動してるのは素晴らしいですし女の子とかから来たらもうキャー!と思います。

対してあまり好きになれない理由ですが、これはもう一つだけなんです。それがRube Goldberg Machineとしての甘さです。

ぼくRube Goldberg Machine大好きで、YouTubeでもHonda AccordとかOK Goとか本当に見ていて飽きない。でもRube Goldberg MachineをCMで使うには、その面白さとか特長を理解した上でやらないとダサくなると僕は思うのです。


Rube Goldberg MachineをCMに使った代表作といえばこれ。見ていくほどに惹きこまれます。


Hondaさんも挙げていたOK Go。ちなみに、ですが僕は2分30秒あたりからのOK Goの以前のPVが流れるテレビを破壊する流れで泣けます。OK Goの思いが見え隠れするようで。

さてではRube Goldberg Machineの面白さとは何か、という話に入っていくわけですが、まずはベースに連続性の面白さがあることが挙げられます。Rube Goldberg Machineは個々の動きが次々に影響を及ぼしてそれが一つの連なりになっていくわけですが、こういう面白さというのは他にも見られますね。たとえば言葉遊びでもしりとりやマジカルバナナ、合コンゲームの多くのはその類で、一つ一つの動き(しりとりであれば「りんご→ごりら」)は大したことが無くてもその成功が続くことで「いつ失敗するのか」というドキドキ感が重なっていくのが特徴です。これは何らかの目的を持った動きではなく、その過程自体に面白さが見出されています。

そしてそのベースの上にRube Goldberg Machine独自の面白さが乗っかってきます。これが「連続性を作り出しているのは機械(Machine)である」という特徴です。重要なのは主役が人ではなく機械になっているところなのです。もちろんその機械は人が作るわけですが、一度動かしたら人が修正を加えることはできません。途中で機械が止まってしまったら、再度つくり直してやり直しをしなければならない。このリスクがRube Goldberg Machineをより面白いものにしています。だからこのリアル感の表現がキモとなります。

先ほどHonda AccordとOK Go、2つのRube Goldberg Machineの動画をお見せしましたが、これらの動画には共通点がありますね。まず最初に見て分かるのがどちらもワンカットで撮っているということ。最初から最後まで映像を途切らせることなく撮る。これは上記の連続性を表現するために必要不可欠な手法なのです。そうでないと連続性が「ウソ」になってしまいますから。対して”SHIRO Cheers System”ではワンカットではなく、複数のカット数で撮影されています。ここで連続性が途切れてしまっているんですね。

また、映像では連続性だけではなくMachineがそれ単体で動いているという本物らしさも演出されなければなりません。と言いますか、Machineの本物らしさというのは人が手を加えないということですので、逆説的ではありますが「極力演出を加えない」ことによって演出されるわけです。そういう意味で映像に出てくるMachineと人との関わりというのが非常に大事になってきます。

ここで映像に人物が出てくる、OK Goの"This Too Shall Pass"と”SHIRO Cheers System”を比較してみましょう。前者では人物はMachineの動きには最初以外一切手を加えません。すべての動きの橋渡しはMachineのみで行われ、人物はMachineの影響の被害(笑)を受けているだけです。一方で後者では人物がMachineの動きに手を加えることにより、その連続性を遮ってしまっています。これが僕はどうも苦手なんです。

・・・・・。

ああ、なんかまた理屈っぽく長くなってしまった。ちなみに”SHIRO Cheers System”をdisる気は全く無いんです。Rube Goldberg Machineとして見ちゃうからたぶん好きになれないだけなのです。でも、とりあえずそんなことを思っていたわけですよHondaさん。

ちなみに今日この記事を書いてひとつ気付いたことがあります。「しろ」って平仮名でGoogle検索すると、関連ワードに「冨樫仕事しろ」って出てきます。みんな大好き冨樫先生。早くHunterxHunter再開してほしいですね。その前に俺が仕事しろって感じですかそうですか。
おあとは別によろしくない。

というわけでHondaさん飲みましょう!この汚らわしい無職の私めにおごって下さい!

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