おさらいエントリ。
全ての「こと(=行動目的)」が人々の時間を奪い合っている。
仕事でも、遊びでも、趣味でも、睡眠でも。
あらゆる商売は人に利用されることで価値を帯びるので、全ての商売が人々の時間を奪い合っていると言える。
ほとんどの商売はそのこと自体が収益に影響することは無い。
しかし、広告業だけは違う。
広告業は人に見られて初めて成り立つ商売であり、見てくれる総時間が多ければ多いほど効果が高い(と、言われている)。
つまり人々の時間が原資であり、これをどれだけ上手く奪ってこれるかが商売に直結する。
仕事や遊びや趣味や睡眠の時間を奪うのは中々難しいので(実際には奪うこともあり得るけど)、広告メディアは「暇な時間」に入り込む。
人々の暇つぶしを提供する一方で、広告を見てもらおうという戦略だ。
これまで、屋内での暇つぶしの王者はテレビだった。
外出した際の移動時間の暇つぶしは、新聞か、雑誌か、本だった。
そこに登場したのが、PCとケータイ。
これらはwebに接続出来る。
そしてwebには多彩なコンテンツがいくらでもあり、友人とのメールも出来る。
しかも無料でblogやメールを書く人が居る限り、コンテンツは無料だ。
暇つぶしごときにあまり金はかけたくない。
だから、暇つぶしを目的とした場合は、価格弾力性が大きくなる。
有料メディアは、無料で文字を書く人が居る限り、無料メディアに人々の時間を奪われ続ける。
いまコモディティ化しているのは、紙メディアでも文字メディアでもない。
あくまでも暇つぶしのためのメディアがコモディティ化しているのだ。
これを理解しているか否かが、次のメディア作りに非常に重要になってくると思う。
「暇つぶしメディア」がコモディティ化したとすれば、メディアは「暇つぶし」以外の目的を持たなければ生き残れないと思う。
参考
Wikipedia : コモディティ化
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